1953年11月5日未明、ラジオなどの電気製品を商う男性が、刃物で刺されて死亡した事件。

この事件の容疑者となったのが、男性の内縁の妻・冨士茂子(ふじ・しげこ)さん(享年69歳)。

ですが、この事件は冤罪でした。

無罪判決によって名誉回復されたのは、茂子さんの死後のこと。

日本初の死後再審が行われた判例でもあります。



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どのような事件だったのか?

1953年11月5日未明、ラジオなどの電気製品を商う男性が、刃物で刺されて死亡しました。

現場は、徳島県徳島市のラジオ店奥の住居。

被害者は、9か所を刺されて死亡。

同じ部屋には、内縁の妻・茂子さんと当時9歳の娘がいました。

茂子さんも、左胸に浅い傷を負います。

屋根上の電線、電話線が切断され、現場には中古の懐中電灯が残っていました。

また、隣で新店舗を建築工事が行われており、そこで匕首1本がみつかりました。

布団には、靴の足跡が2つ残されており、通行人からは、不審な男を見たという目撃情報もありました。

容疑者2人を逮捕するも不起訴

徳島市警は、外部から犯人が侵入したとみて捜査を始めます。

地元の暴力団関係者や窃盗の常習犯など、目ぼしい人物を相次いで別件逮捕、事件について追求します。

そして、容疑者2人を犯人と断定します。

しかし、証拠不十分で起訴には至らず、釈放となりました。

冤罪に至った経緯

事件発生当時、警察組織は、国家地方警察と市町村自治体警察の2本立てでした。

しかし、1954年の警察法の改正により、現在の都道府県警察に1本化されます。

人事異動もあり、外部犯人説に基づく捜査は、適切に引き継がれませんでした。

徳島地検は、若手検事らが専従捜査班をつくり、内部犯行説に基づく独自の捜査を開始。

現場と同じ敷地にある小屋に寝泊まりしていた、当時17歳と16歳の住み込みの店員2人に対して、取調べを行うことにします。

そして、1954年7月から8月にかけ、1人を電話線などを切断した容疑、もう1人を遺留品の匕首を所持した容疑で逮捕・勾留しました。

その後、2人は、家庭裁判所に送致され、それぞれ45日間、27日間身柄拘束。

その間、地検による、さらになる取調べで、被害者と茂子さんの格闘を目撃したことや、茂子さんに頼まれて電話線などを切断したり包丁を川に投棄したこと等を認める2人の供述調書が大量に作成されます。

こうして、1954年8月13日、茂子さん逮捕。

茂子さんは、犯行を否認。

否認のまま殺人罪で起訴されることになりました。


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公判では?

公判で、茂子さんは、一貫して無実を主張。

しかし、徳島地裁は、夫の女性関係などに悩んだ末の計画的殺人として懲役13年を言い渡します。

2審の高松高裁は、計画性はなく突発的な犯行であったとしたものの、控訴は棄却。

現場にいた茂子さんの娘は「覆面のおじさんが部屋に入ってきた」と証言しますが、裁判所は「年少者の見聞の確実ならざることは当然」として取り合いません。

店員2人の捜査段階での供述調書と公判廷での証言が、有罪認定の決め手になってしまいました。

茂子さんは上告したものの、1958年5月10日、裁判費用が続かないため上告を取り下げ、懲役13年の判決が確定しました。

再審請求

判決確定と前後して、本件の真犯人と称する男が、静岡県警に出頭してきます。

報道でそれを知った茂子さんの親類が調査を始め、元住み込み店員の1人が供述や証言は虚偽であったと告白する手記を入手。

法務省人権擁護局に人権救済を申し立てます。

同局と徳島地方法務局が調査を開始。

店員は2人とも、証言は虚偽と認め、偽証罪で告訴されるとともに、警察に自ら出頭します。

徳島地検は2人をいずれも不起訴処分としましたが、徳島検察審査会は「起訴相当」の議決。

当時は、検審議決による強制起訴の制度はなく、同地検は不起訴処分としました。

1959年3月、第一次再審請求が高松高裁に対してなされますが、茂子さん本人ではなく代理人の弁護士が請求したことなどから、不適法として棄却。

茂子さん側は、店員の偽証告白を理由として、徳島地裁に第二次再審請求をしますが棄却。

高裁への即時抗告、最高裁への特別抗告も棄却されました。

この再審請求審で2人の店員は、原審での証言は虚偽だと述べたため、茂子さん側は再び2人を告訴。

この時も不起訴処分となり、同検審は再度「起訴相当」を議決したが、同地検はまたも不起訴処分を維持。

1962年10月に行った第三次再審請求も棄却。

即時抗告、特別抗告も同じ結果でした。

茂子さんは、1966年11月に仮出所。

1968年の第四次再審請求も棄却。

そのような中、「再審請求審においても、『疑わしいときは被告人の利益に』との刑事裁判の原則が適用される」とする、最高裁の「白鳥決定」(1975年)を境に、再審の可能性が以前に比べ、少し広がります。

1978年1月、茂子さんは第五次再審請求を行い、検察側は22冊の「不提出記録」を開示。

裁判では伏せられていた捜査段階の証拠が明らかになりました。

また、2人の元店員も証言し、原審での偽証を認めることに。

しかし、この再審請求中に茂子さんは腎臓がんで重篤となり、弟姉妹4人が1979年11月8日に第六次再審請求。

そして、茂子さんは同月15日に死亡してしまいます。

これにより、第五次請求は終了。

徳島地裁は、1980年12月13日、弟姉妹による再審請求が適法であると認め、第五次請求審での審理のすべてを第六次請求審が実質的に引き継ぐことができるとしたうえ、茂子を犯人とした事実認定は「もはや維持しがたい」と、第六次請求での再審開始を決定。

検察側は即時抗告しますが、1983年3月12日、高松高裁は抗告を棄却。

検察側は特別抗告を断念し、再審開始が確定。

再審で検察側は、31人の証人と4件の鑑定を申請し、懲役13年を求刑するなど、最後まで有罪立証を続けます。

しかし、徳島地裁は1985年7月9日、「検察官の主張は極めて是認し難い」と退け、無罪判決を言い渡しました。

判決は「外部犯人の存在に結びつく積極的証跡が認められる」として、内部犯行説にこだわった検察の見立てを否定。

判決言い渡しの後、茂子さんの妹が「裁判長さま、お願いがあります。裁判所に来られなかった姉茂子にお言葉を」と声をかけたが、裁判長は無言で法廷を去りました。

検察は控訴を断念し、こうして無罪判決が確定しました。


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なぜ冤罪となったのか?

この事件は、外部犯行説で捜査を続けていた警察の捜査が滞るなか、警察制度の大改革。

検察が内部犯行説を想定し、それに固執したことから、本来は被害者である女性が加害者にさせられました。

第六次再審請求審の決定は、徳島地検の問題点として、

  • 証拠を厳密に検討せず、ごく一部の証拠を独断的に解釈して犯人像を想定した。
  • 早期に強引な身柄捜査に移行した。証拠に基づいて犯人に迫るのではなく、犯人像を想定したうえで、関係者を身柄拘束し、供述を強制するという典型的な見込み捜査を行った。茂子有罪を根拠づける証拠はすべて供述証拠であるが、物証や実況見分調書など客観的な証拠は外部犯人の侵入を裏づけていた。
  • 未成年の店員2人を、十分な裏づけ証拠もないままに逮捕し、長期間身柄拘束した。これが、検察官が思いのままの供述を2人から引き出す温床になった。

などの点をあげています。
 
さらに、このときに右陪席裁判官であった秋山賢三さんは、退官後に著書で本件での検察官の証拠隠しの問題に触れています。

同書によれば、茂子の裁判に提出された現場の実況見分調書には写真が28枚しか添付されていませんでしたが、第五次再審請求審で検察側が開示した「不提出記録」のなかにあった実況見分調書には34枚ありました。

裁判に提出されなかった写真のなかには、茂子さんら家族が寝ていた布団のシーツに「ラバーシューズの靴跡」がはっきりと見てとれるものもありました。

秋山さんは、この写真を調書からはがし、外部犯人説を裏づける証拠を隠したまま裁判を進めた検察の意図を不信に思い、これが裁判所に提出されていたとすれば、茂子さんを犯人とする根拠は「雲散霧消したのではないだろうか」と書いています。

また、第六次再審請求審の決定は、有罪認定を否定する証拠は、再審請求審で出された新証拠のなかだけでなく、有罪判決を出した一、二審の確定記録のなかにも「数多く含まれていた」として、これも本件の特徴の一つであると指摘。

一、二審の事実認定は「厳密に証拠に基づき、それらを論理法則、経験法則に従って正しく評価するべき本来の事実認定の方法論とは相容れない」と批判しました。

冨士茂子さんとは?

茂子さんと夫は2人とも過去に2度の結婚失敗の経験があり、結婚届けを出していません。

茂子さんは、この結婚前まで酒場を経営しており、夫はその客でした。

夫には先妻の子が高校生を頭として4人おり、茂子さんと夫との間に9歳の女子がいました。

また、5人の子の全員が、茂子さんを母として慕っていました。

経理に精通した茂子さんは、事業の才能もあり、事業面でも夫の片腕として活躍。

夫の事業における茂子の功績については判決でも評価されています。

逮捕後、このような茂子さんについて、地元新聞は「狡智」「勝気」「男まさり」「鬼のような…」と書き、また、事実婚であったことをとらえて「入籍してもらえないことを恨み、奸計を…」と書き立てました。

これにより茂子さんは、地元の女性達から「許されざる女」の烙印が押されます。

公判の傍聴席には「鬼ババア!」「人殺し!」「死刑にしろ!」と叫ぶ大勢のヤクザの一団とともに、大勢の中年女性達の姿があったとのこと。

茂子さんを苦しめたものは、不可解な司法の理不尽さだけでなく、同性から受ける「許されざる女」という性差別でした。

おわりに

最悪の冤罪の犠牲者となった茂子さん。

肉体的にも精神的にも、耐え難い人生を歩まされました。

現在の司法にも、冤罪が全くないとは言い切れません。

この悲劇を無駄にはしてもらいたくはありません。