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香月弘美さん(宝塚歌劇)の舞台事故(1958)の真相と真実,-21歳の白い旅立ち つぶやき館/ウェブリブログ

投稿日:2017年10月10日 更新日:









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香月弘美さん(宝塚歌劇)の舞台事故(1958)の真相と真実,-21歳の白い旅立ち



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作成日時 : 2013/12/12 17:43
 
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 確かに言語に絶する悲惨な事故は宝塚大劇場で現実に起きたのである。

それは昭和33年4月1日午後6時半頃,宝塚歌劇史上最大のタブー

ともされる舞台事故であり、。労働災害などでは時々、この種の事故は

起きているが、劇場の舞台装置での死亡事故としては世界でも唯一であ

る。昇降装置の駆動部分に衣装を巻き込まれ、衣装の裾に巻いてあった

金属製ベルトがセリのシャフトに巻き込まれたことで香月さんの胴を締め

上げて結果として切断となってしまった。だが、-この日に限って、、事故

が起きた原因はいったい何だったのだろうか?



  私自身、まだほんの幼いころ、宝塚の舞台の昇降装置で事故があって

死んだ人がいる、という話を幾度となくを耳にした記憶がある。ただそれ以

上のことは全くは知る機会はなかった。子供心には憧れの宝塚で起きた悲

劇は何か遠い世界の悲しいお伽話のように聞こえた。



その香月弘美さんが非業の死を遂げて、・・・長い長い年月が過ぎ去った。

まだ4歳半未満だった私もいつしか還暦を迎えた。夢のように遠い昔の話の

ようだ、・・・・まだ街角で自転車の紙芝居屋さんを見ていた頃。



  心の中から宝塚での事故のことは消えてしまっていた。だが、その亡く

なられた方が香月弘美さん、というお名前だったと偶然知ったのは最近だ

ったが、その取り上げられかたに愕然とした。ただ好奇心でグロの対象と

してしか扱われていない。劇団は葬儀後、すぐに徹底抹殺の方針となって

扱いは冷淡を極めた。ひたむきに生き抜いた先に待っていたものが、・・・

あまりの不憫さに胸が痛んだ。私は彼女の真実を書こうと決心した。





  その舞台は昭和33年4月1日午後6時半、舞台は恒例の「春のおどり」に

代わる新作の「花の中の子供たち」だった。



 「童話の国」の美しい王子(淀かおる)が、仇敵の「トランプの国」の内紛に

乗じて奪われた秘宝を取り戻すため出陣というシーンだった。トランプの国の

内紛とは、神に仕える巫女の一人が清純であるべき掟を破って、近衛兵の

青年士官と激しい恋に落ちたため宮廷に大混乱が起こった、というストー

リーだった。3月26日から4月29日までの花組公演。月組からも応援が何名

かいて日夏さん、その代役が香月さん。



(画質は悪いけど) 事故直前の舞台、左から二人目が王子役の淀かおる、

右に一人おいて香月弘美さん



   







 この青年士官の役は花組新進スターの松島三那子さん。相手役は奇しくも

同じ学校で同級生だった、-役は許されない禁断の恋に陥った巫女ー、香月

弘美さん(21歳)だった。



 何度か忍び会いを繰り返すうち、二人の恋は侍女の告げ口からばれてしま

った。追跡の手が差し向けられ、厳しい裁きが申し渡された、-電気スイッチ

を押しての死刑だった。



 「この不義者めが!消えてなくなれ!」というセリフをトランプ国の女官が

叫んで、「スペードの女王」が電気ボタンを押した。同時に、奈落の下では公

演係長の祐野繁造がセリ出し装置を降下させるため、実際の駆動のための

電気ボタンを押した。



 セリの上に乗った巫女と青年士官は抱き合う。そこからセリは急降下して

二人は舞台から消えた、・・・・・



 消えたと思ったらその瞬間、「ギャー」という巫女のまさに本当の断末魔の

叫びが響いた。



  セリの両側には、-舞台から奈落までの間二本の太いシャフトが立っ

ていた。直径が10センチほどの鉄の棒でラセン状の刻みが入っている。

スイッチを押すとシャフトはすさまじい勢いで回転し、そのギザギザとセリ

本体の歯車がかみ合って急上昇、降下を行う。



 セリが奈落まで到達するのは13秒。悲鳴の直後にはセリはもう奈落ま

で達していた。その瞬間二度目のギャーという叫び声が響いた。



 続いて松島さんの「誰か来てー」という絶叫が聞こえた。10メートルほど

離れた場所で他の仕事を始めていた祐野課長があわてて駆けつけ、とっ

さに電源を切った。同時に白い衣装の香月さんが目を見開いた表情で祐

野さんに倒れかかった。



 「どうしたんだ」と祐野さんは香月さんの腰に手を回した、・・・・・らそこ

には何もなかったのである。祐野さんは仰天し、気を失いそうになった。



 祐野さんが目を上げたらそれはまだセリの上に残っていた。というのか、

一本のシャフトにむごたらしく貼りついていた。大きく広がった裾がズタズ

タに引きちぎれ、裾に縫い込んであった金属製のベルトがゼンマイのよう

にきつく締め上げられ、香月さんの胴を切断していたのだ。シャフトに引き

寄せられ、右足は潰れ、左ひざは骨折していた。



 あたりは血の海だった。そのうち惨劇に気づいた舞台上の劇団員たち

が恐怖の叫び声をあげたり、逃げ出そうとしていた。公演は目茶苦茶に

なった。4000人以上の観客も総立ちとなった。事態を察知したのである。



  それにしても衣装をセリのシャフトにひき込まれ、右足が引き込まれ

初め、右足を潰されながら次いで腰のスチール製ベルトで腰を締め付けら

れながら、・・・・の恐怖は数秒だったにせよ、どれほどのものだったか、

想像を絶する。



 ✱その後



 遺体は劇場課職員が早替室に安置した。初舞台生の「死にはった」との

言葉に仰天した登代春枝は二階楽屋から降りようとし、職員に阻止された。

その後、職員が上がって来て「亡くなった方にお化粧してください」と二階楽

屋の月組の登代さんに依頼した。登代さんと畷克美さん(月組副組長)、瑠璃

豊美の三名が美しく死に顔に化粧をほどこした。登代さんは今にも濃緑色

の袴と着物で寝棺に眠るが如く安らかな死顔の香月さんが目を開けて、「す

みません、こんな所で寝てしまって」と話し出すような錯覚に襲われたという。

コールドクリームで下地化粧、三人で代わる代わるパフと紅筆で化粧された

香月さんの死に顔はまるで蝋人形以上の美しさだった。午後7時に宝塚警察

に電話を入れた。





 写真:日舞の名手だった香月弘美さん







  昭和33年2月阪急友の会「明治の橋」で町娘に扮した香月さん

この写真を出来上がりを見ることなく逝去されました



 



 前例もない重大事故のため兵庫県警本部からベテランの鑑識課員が

派遣されてきた。原因はすぐ判明した。



 衣装の裾のスチール製のベルトがシャフトに捲き込まれ、体を締め付

けて瞬時に胴体を切断したのであった。



 ✢ではなぜそれまで起きたこともない巻き込み事故が起きたのか?



この時は誰もが極度の興奮状態だった。宝塚関係者の申し立ても混乱

していて警察も事故の起こった原因を探るのは難しかった。



 ✲春日野八千代さんの意見





 「あのセリは、私たちがずっと前か非常に危険だと感じていました。セリ

とはいっても狭い矩形の板で幅3メートル、縦が1.2メートルくらいしかな

くて裾の直径が1.3メートルもある衣装で乗らなければいけなのです。

いつシャフトに裾が巻き込まれないかと、本当にヒヤヒヤでした。だから

それが影響して演技にも身が入りませんでした」



 このセリは大正13年製で宝塚大劇場建設当時からあったものでセリ

の中では一番古い。前年の大改装で多少は改造されてはいたが当時は

一般にシャフトとセリの間にはカバーはなかった。



 ✣梅田(人名)宝塚歌劇団理事長の話



 「決して危険じゃありません。香月さんよりずっと広い裾の衣装で今の

今まで事故は一度も起きていないんですよ」



 ✣羽山宝塚歌劇芸能課長



 「香月さんも何度も乗った経験がある。死んだ方にこう申し上げるのも

心苦しいが、彼女はちょと慣れた段階で当然の注意さえ怠ったのでは

ないでしょうか」



 ✱香月さんのファン



 「(劇団の説明に対し)。・・・・・そんな、・・・ヒロエちゃん(香月さんの

こと)は疲れ過ぎていたんですよ。夜稽古が毎日続いて、みなさんノイ

ローゼぎみだったんです。それに彼女は同組の日夏有里さんの代役

だったでしょ。ニワちゃんが扁桃腺を腫らして休んだため同じ月組から

の応援でした。気遣い、疲れもあったのではないでしょうか」



 ✱同期生の話



 「(疲れ、気遣いという話に対し)それは違いますよ。前の晩、お風呂

でも大はしゃぎでした。疲れて注意力散漫はないですよ。代役でもも

う三日目でした。慣れていたはずです。あのセリは確かに危険です。

でも今まで事故がなくあの晩に限って事故が起きたのは何かあった

はずです、不運やセリの危険性以外の何かがあったのでは、・・・」



 その何か、の要因は確かに存在したのである。



 警察もセリのシャフトの防護カバーを取り付けること、スチール製

の衣装ベルトを竹製に変えることだけを警告した。労働基準局は

深夜の稽古について警告した。



 検察は経営の最高責任者の白水半次郎常務(阪急電鉄)以下





 不十分な管理による過失致死。で罰金5万円で全て終了した。



 以後、劇団は一貫して「この事故は存在しなかったことに、香月弘美と

いう生徒などいなかったことにしよう」という極度な隠蔽、無視の姿勢を

とり続けた。抹殺である。





✱ ささやかれた疑惑の検証



wikipediaの記述(香月弘美)、・・・・この中で香月弘美は宝塚の雑誌「歌劇」

にも記載されたことがない地味でただ目立たなかった女優(団員)のように

書いてあるし、さらに「刑事処分の結果は不明」などとあるが、とんでもない

ことであって香月弘美は人気のある娘役で刑事処分は上記のとおりで阪急

電鉄幹部に罰金5万円の有罪で決着している、・・・・誰が書いているのか?



  ただ指摘すべきことは宝塚歌劇団は阪急電鉄の子会社などでなく株式

会社でもなく有限会社とかいうものではない。公益法人でないから昔風に

言えば財団でも社団法人でもない。(公益法人改革で名称は変わっている)

法的な法人組織ではないのである。



 子会社でもなく公益法人でもない。ただの任意法人でしかない。阪急電鉄

に支配されていることだけは確かな任意法人である。だからその財務の内容

も公表などないし、責任体制もいい加減である。



 実はこの刑事裁判で宝塚側が主張したのが「子会社でもない宝塚歌劇は

阪急電鉄の幹部に責任は及ばない」との論理だったが一蹴された。刑は軽く

ても。





 ✤不都合な偶然の



 1.代役



  宝塚ではスター、中堅クラスの出演者には必ず代役をつけておく

習わしがある。代役は負担ではあるが逆に認められるチャンスでもある。



 したがって代役は正規の出演者よりも格下の団員、基本的には同じ組

に属する若手団員となる。



 ✣しかし香月弘美さんは正規の出演予定の日夏有里さんとは

月組で同じ、さらに日夏さんよりむしろ有名で人気があった、との意見

もあった。





 香月弘美さんは日夏有里さんより格上であり、研究科5年生中で、日舞

、ダンスではトップクラスの実力だった。花形を集めた「エレガント・ガールズ」

の五人に選ばれている(昭和32年5月、月組公演:鏡三枝子、木谷まり、

高千穂祐子、香月弘美、日夏有里、マンハッタン物語第7場)



昭和29年初舞台前の41期生全員による記念写真(部分)



 香月さん後列、右から二人目、扇さんも見える、二列目右端が日夏さん

香月さん、大島美鳥さんはまだ着物が出来ておらず私服である。香月さ

んが小柄な方と分かる。



 



 

昭和32年4月雪組公演(趣向を変えて月組からの応援も入っている)春の踊り



 グランドフィナーレ、前列左から緑八千代、美山恵津子、沖ゆき子、木花沙耶

 中列左から日夏有里、香月弘美、木谷まり、筑紫野千鶴



 



日夏さんは香月弘美さんの葬儀で気を失って倒れた、と伝えられている。



 それほど有能な踊り手だった香月さんがなぜ臨時的なセリフ、演技を

要求される代役に指名されたのか?

 しかも代役に指定した人物は不明である。



 香月さんはただ代役を黒板に書かれた配役のリストを見てそれに従った

だけのことで演出者のあの白井鉄造氏に最終権限はあった。



 ✱(当時、花組研究科4年生の志摩好美さん)



 「白井先生もニワさん(日夏)が休んだ後で初めてヒロちゃんが代役と知った

ようでした。『君を代役と聞いて驚いたよ。君とはもったいないけど、まあ頑

張ってくれ』と言っていました」



 つまり誰と分からない人物に香月さんは代役に指名されたのである。

 

 2.香月さんの当日の舞台衣装



 代役なので香月さんに合わせておらず、体の大きな日夏さん用のもの

だった。したがって裾も広い。自分専用の衣装ならシャフトに引っかからな

いように出来たんでしょうが、・・・・・不慣れなセリフ、演技にその大き目

な衣装で、・・・・不運だった。



 3.衣装の裾のスチール製ベルト



 それ以前は竹製ベルトだったが、竹では張り具合が悪いというのでその

公演にだけ、しかも3月26日から4月1日にだけ使われたのである。



 4.セリの操作が専門の係員でなく通常はやらない公演係長がやってい

たという事実。



 その遠因は阪急電鉄でのストであった。春闘での12時間ストの最中で

専門の係員は現場に応援でストの穴を埋めるため動員されていたのだ。



 ✥直接の原因は確かにシャフトに衣装が巻き込まれたことだが、これだ

けの不運が重なっていたのだ。



 ✱松島三那子さんはどうだったか?



 宝塚署と神戸地検は発生直後の状況を知るただ一人の証人として松島

三那子さんから事情を聴こうとした。



松島三那子さん (宝塚グラフ昭和33年2月号)



 





 直後は松島さんは半狂乱で泣き崩れていたが、その後不意に行方が

分からなくなった。これは後述のように劇団理事に居所を隠せ、と命じら

れたためだったが、本人にはまことに不本意であったようだ。



 歌劇団理事長らに付き添われて宝塚署に出頭したのは4月4日の昼過ぎ

だった。1日から4日までの行動、居場所は分かっていない。分かっている

のは捜査員の前で泣きながら述べた陳述だけである。



 「私はセリがまだ奈落まで降り切らない前に飛び降りたんです。男役の

衣装のタイツ姿で身軽だったし、次の場面での早変わりがあってあせって

いました。飛び降りて楽屋の方へ走るかけたらヒロエちゃんの悲鳴が聞こ

えました。驚いて『誰か来て』と叫びました」



 しかしここにも疑問がある。兵庫県警の実況見分では、・・・



 香月さんの衣装がシャフトに捲き込まれ、切断されるまでには、早くて

6,7秒はかかる。松島さんが「飛び降りて走りかけたらヒロエちゃんの悲鳴

を聞いた」のが事実としても、時間的には松島さんが飛び降りる前に既に

香月さんは捲き込まれていたはずだ。

 

 スチール製ベルトが香月さんの胴体を切断し始めて松島さんがそれに

気付かなかった、とは思えない。強烈な勢いで裾が巻き込まれた瞬間、

ベルトが締まる瞬間の苦痛があった時。、まだ松島さんはセリにいた

のではないか?



 とはいえ、この辺りは非常に微妙すぎて断定は出来そうもない。ただ、

松島さんが一瞬でも早く気付いていたら、あるいは何とかなったのでは

、と残念がる団員は多いのである。



 (花組,志摩好美さん)



 「何だかヒロエちゃんの最初の悲鳴も演技みたいに気がしました。だれ

も最初は本当の悲鳴とは思わなかったんです」



 だがいかんせん、祐野課長がどう急いで電源を切っても惨事は避けられ

そうもなかった。たった一晩だけ専門の係員がいなかったことが招いた悲劇

でもあった。



祐野係長がかりに即座に電源を切っても、実地検証によれば、-惰性で

セリは20㎝降下するこ都が確認された。すでに衣装がシャフトに捲き込まれ、

次の瞬間、スチール製ベルトが巻き込まれるなら、さらに20㎝降下するだけ

で胴体は切断されてしまう。



 宝塚の長い歴史でたった一晩だけ専門の係員が操作しなかったその日、

二人が抱き合ってセリで降下、一方にすぐさま早変わりの必要があったと

いうシチュエーションが結果として宝塚史上、唯一の殉職者を生むことにな

ったと見られるのだが、・・・・・。



 、…これはただの偶然だったのか?



 ✱狭過ぎるセリに「定員」はなかったのか?そこで二人抱き合う

という危険性、シャフトが見えない状態、早変わりへのあせり



 結局、事故の直接の原因はここにあると考えられる。春日野八千代さん

の証言にあるように、3mと1.2mの矩形(長方形)、すぐ危険な駆動シャフト

がある、・・・・・そこに二名の人が同時に乗って危険ではなかったのか?

春日野さんの言われるように「一人でも引き込まれないか、とヒヤヒヤ」の

狭いセリに同時に二名、しかも抱き合ったまま、・・周囲が見えない状況と

なる、松島さんは着替えで気がせいている、抱き合ったままで急いでセリ

から飛び降りたなら結果として、-香月さんがよろめいた結果になっても

自然である。シャフトに引き込まれる危険の高い狭いセリでこの状況では

事故は起こるべくして起きた、とも言えるのではないか。歌劇団にセリに

同時に乗る定員という配慮があったのかどうか、・・・それまではどうだっ

たのか、客観的には狭いセリの上で二人抱き合ったままの降下、抱き合

っていた松島さんは次の舞台への衣装替えで頭がいっぱい、離れるため

無意識的に香月さんを振りほどく格好になったこと、それが完全停止前で

あったことが原因となったかもしれない。無論、何の意図もない行動で松

島さんには責任は何もないが、不運な要素が重なり合ってしまった。



結論的に言えば、・・・・・



 1.事故の基本的な要因は、狭い長方形(3m×1.2m)という超狭い

セリがむき出しのシャフトに接して上下するという危険性の高い旧式

な構造自体に存在していた。



 したがって、そこで足を滑らせても直ちにシャフトに捲き込まれること

になり、殺人的なセリであった。だがそれまでは一般的な構造であっ

た。



 2.そのセリで身を守る唯一の方法は、決してシャフトが停止するまで

体を動かさず、微動だにしない。足を滑らせたり、けつまずいたりしない、

静止の状態でいることであった。



 3.しかしその日、香月弘美さんと松島三那子さんが抱き合ったまま

セリで降下することでセリの異常な狭さが増幅し、危険性が増大して

いた。



 4.安全のためには奈落に降下し、シャフトが停止するまで抱き合っ

た姿勢で二人が身動きしないことが条件だったが、松島さんが次の

場面での出演のための着替えが急がれていたため、奈落に達し、

シャフトが停止する前にセリから飛び降りた、-瞬間的にこれが突き

離す形になり、危険なセリでの身を守る条件の停止まで身動きしない

、がなされず香月さんの姿勢に大きな変化が生じたこと、・・・・



5.それでも疑問は少しふれたような事案で、・・・・では松島さんが

セリの完全停止の前に次の早変わりのため飛び降りた、香月さん

を振りほどいたにせよ、それはしょせん、停止寸前のはずである。

停止遙か前(13秒かかる)に飛び降りたとは思えない。では香月さん

が裾をまず引き込まれ右足、左足を引き込まれ、ついには捲きついた

金属製具で胴を切断されるまで最低で6,7秒はかかる。停止寸前

に捲き込まれたなら切断までにはいたらない。最初の悲鳴があった

のはセリに乗ってすぐである。だから早い段階で実は引き込まれてい

たと考えるしかない。宝塚署での松島三那子さんの「次の早変わり

が気になって急いで『おおきに』と香月さんに言って飛び降りたら背

後で激しい悲鳴が聞こえた」はあり得ないはずであるが、・・・・・。

しかし泣きじゃくって証言する松島さんを見て警察はしいて追及は

しようとしなかった。



出演者の証言で「最初の悲鳴は、まだ演技の一部かと思った」と

いうくらいでセリがほぼ奈落に達するよりかなり前である可能性が高い。

 抱き合った状態でセリで降下、・・・してすぐ何か起こったのか?無論、

何もしなくてもよろめいて転倒もあり得るが、・・・・。



 6.香月さんがシャフトに捲き込まれ、最終的な結果になるまでは

松島さんがセリの停止寸前に急いで飛び降りたため、とは考えにくい。

 何らかの原因、事情でセリが降下して早い段階で香月さんは実は

シャフトに捲き込まれた、降下して数秒後くらい、・・・松島さんが停止

前に飛び降りた本当の理由は助けを求めるため、ではなかったのか。

 松島さんが事故後、姿を消したのは実は劇団自身が彼女をを査問

し,警察での陳述の内容をつめていた可能性も否定できない。



 ともあれ、・・・・・



 実際に事故が発生していないことによる知らず知らずの油断があった

し、劇団の方でははなから対策などとる気がなかった。団員も劇団に

は防護の手段を講じることなど言い出せない状況もあった。だが、ついに

起きた最悪事故だった。しかし松島さんを責めることはできない。基本

は危険なセリを放置した歌劇団の責任である。



しかし一人でもシャフトに引き込まれないかとヒヤヒヤのこのセリでの

抱き合ったままの降下は危険極まりない、ことは明らかでも、でもそれ

までこのような状態を導くような演出はなかったのか?あってもクリアー

出来てきたのか?という疑問は湧く。この点、私自身、確認できる材料

がない。ただ昭和33年4月1日の舞台はありとあらゆる不幸な偶然が

重なったことは間違いない。シャフトに防護壁を設けなかった劇団に全て

の責任があると言うしかない。



 要するに不利でも偶然でも条件が揃えばいつ惨劇が起きて不思議では

ない、むしろ当然なセリであり、団員の奇蹟的な注意力で長年、無事故で

あったものが遂に、「起こるべくして起きた」わけである。停止まで身動き

しないように、いかに注意を払っても気分が悪くなって倒れたら即、おしま

いである。出演者に与えた長年の緊張と不安は大きかった。



 これによって初めて最小限の安全策が講じられたわけで、香月弘美

さんは、まさに尊い犠牲であった。この事故以降は劇団員の方々、音楽

学校の生徒さんなど出演者は危険から解放されたのだから。ーだから

こそ香月弘美さんの死は決して忘れてはならないと思える。









 ✤香月弘美さんとは



 香月弘美さんは湘南白百合学園高校の1年から宝塚音楽学校に入った。

現在は中退での入学は認められていないが当時は普通だった。



 湘南白百合学園は映画スター、タレント、タカラジェンヌを輩出すること

で有名な学校である。松島三那子さんも香月さんと中学で同級だった。



 昭和27年に香月さんは宝塚音楽学校に入った。昭和29年松島さんは宝

塚月組の男役として、香月さんも同じ月組の娘役としてデビューした。ただ

仲は必ずしもさほど良くはなかったと言う生徒もいる。



 「ヒロエちゃんが別の男役スターにすごく憧れていたんです。宝塚では

よくあることですがヒロエちゃんは感情を隠さないのでその強烈さが分かり

ました」というのは同期生の滝川末子さん。



 その男役とは月組男役トップの故里明美さんだという。故里さんは香月

の藤沢の実家にも遊びに行っていたし、香月さんも故里さんのハンケチを

洗濯したりでいかにも宝塚乙女らしい友愛があったという。





尊敬し、憧れでもある故里明美さんと並んで(昭和32年12月)



 



 「恋人よ、我に帰れ」のトゥの踊り子役の香月弘美さん(昭和33年3月)



 



 



 ❂実は事故後、松島三那子の姿が三日間消えたのは、・・・



 歌劇団の吉田・山田両氏が松島に「済まないが姿を隠してほしい」と

懇願したからであった。



 松島さんは「私は何も隠れる理由などないし、責任もございますから、

と拒絶はしたんですが、あの方たちがあんまり頼むと言うので、何か

姿を消して、後ろめたいことでもあるのかと思われてしまいました。複雑

な思いです」と語る。



  事故後は数々のうわさが舞ったが、それが事故と直接結びつくものは

特にない。松竹から東宝に移籍してきた俳優の山田真二との彼女たちの

微妙な心のかかわりを指摘する向きもあったが、うわさの域を出ない。



 

 強大なトルクを持った移動性の機械、に衣服の一部が巻き付いてその

まま締め付け、切断、という事故は普遍的に多くのケースで発生する危険

がある。エスカレーターでも電動椅子でも全てである。イサドラ・ダンカン

のスカーフが車に、で死亡例もある。



 珠玉のような最愛の一人娘が、・・・・まさか宝塚でこんな無残な死を遂

げるとは、・・・・ご両親の悲しみはたとえようもなく深かった。「宝塚に行か

せていなければ」と悔いてみても全ては取り返しがつかなかった。まさか

夢のまた夢にも思いもよらない悲運だった。



 お通夜の次の朝、藤沢から御両親が到着した。変わり果てた弘美さん

の姿にお母さんはわっと泣き伏した。通夜から側にいた高木史郎も何か

詫びを言おうとしたが言葉もなかった。高木は「花の中の子供たち」の作

者。



 お父さんは「初めは怪我と思っていましたが、今朝京都駅で新聞を見て

その死を知って仰天しました。春子(妻)はもうショックで口もきけません。

弘恵(本名)はたった一人の娘です。小さいころから稽古事が好きで6歳か

ら日舞を習わせました。宝塚に入ってからは松島さんとは無二の親友でし

た。松島さんと共演と言うのがせめてもの慰めですが、・・・・一応は代役

の責任を果たしてのことなので、・・・・・」と気丈に語って号泣した。



 セリの危険は以前から指摘されていた。宝塚歌劇団の怠慢が招いた悲劇

である。歌劇団の責任は限りなく重い。春日野八千代さんの言葉にもある

とおり、「まかり間違えばすぐに命取りの恐怖」は昔からあった。事故が起き

なかったのは奇蹟だったが、・・・・ついに起きた最悪である。



しかし香月弘美さんが事故にあわず、あのまま退団できていたらどれほど

幸福な人生が待っていたことか、・・・・・こんな無残な死で突然、人生を21

歳で終わろうとは、・・・・・真の意味の追悼で語られず、何か興味本位な

猟奇の対象として無慈悲な扱いが大半で、ーまったく普段は忘れ去られ、

宝塚の歴史からも抹殺され、たまに触れられたら何かオカルト的な好奇心

でしか書かれない、・・・・、なぜこんな不憫ななことになったのか、あまり

に可哀想で、私如き者でも、-居ても立ってもいられない気持ちになり、

真の哀悼の文章を書いてみたいと思ったしだいです。評価されるに十分

な芸の実力と魅力を備えていてなぜ不幸な事故への好奇心でしか語られ

ないのか、そこに切々たる彼女の悲運に満ちた哀しみの運命を見てしまう

のです。 なぜこんな悲しい結果に、哀切の情が迫り、胸の痛みを感じます。

このような素晴らしい娘さんがなぜ、・・・・・・・。香月弘美さまの死によって

宝塚出演者の安全が以後、確保されました。21年の痛ましくも尊い生涯で

あられたと思います。香月弘美さまの愛の心は結果として自らを犠牲にす

ることで宝塚出演者を永遠に救われたのではないでしょうか。







 香月弘美さま、あなたのひたむきな努力と愛と真心は決して忘れません。



 あなたは亡くなられてもあなたの愛の心は永遠にこの世に生き続けます。





  語り継がれるべきは猟奇ではなく、弘美さまの愛の心のはずです。



 そして



 永遠に21歳のまま天国に旅立たれた弘美さまのひたむきに生き

抜かれた人生の軌跡です。







 いつしか忘れられ、歌劇団からはタブーとして抹殺され、・・・・・・



wikipediaの記述は団関係者かもしれないが、「あんな奇異な事故で死んだ

名もない地味な運の悪かった」団員だった、というニュアンスで書かれ、刑事

処分の結果不明と分かり切った阪急電鉄幹部への罰金刑をさえ隠蔽してい

るようで、・・・何か冷淡で温かみに欠ける筆致で不愉快にさせられる。トップ

だけが宝塚ではないのである。







 ただ終わりのない悲しみだけが残った、・・・・・・・。



香月さんの音楽学校葬儀 右側の方が彼女のご両親



  



  香月弘美さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます









  安らかにお眠りください



                                         合掌





   





宝塚グラフ昭和33年5月号より



   悲しみの歌劇団葬



  さる4月1日夕、「春の踊り」開演中の大劇場で事故死された香月弘美さん

の歌劇団葬が4月11日午前9時半から、宝塚音楽学校でしめやかに執り行わ

れました。

 天津乙女ら在阪全生徒をはじめ、阪急電鉄和田社長、小林専務、歌劇団の

梅田理事長、菊田東宝重役らが参列、悲しみのうちにも盛大な最後の別れで

、生徒一同の音楽学校校歌合唱に始まり、和田社長、梅田歌劇団理事長、

天津乙女、沖ゆき子の声涙下る弔辞に、式場はむせび泣きに包まれ、ついで

同期生近衛真理らが、香月さんが生前に愛唱していた「若き日の花咲爺」の

主題歌を涙のうちに合唱しました。

 10時からは一般会葬者の献花が行われ、阪本兵庫県知事、森重久弥、

乙羽信子さんらの姿も見えました。その献花の一ひら一ひらが今は亡き香月

さんに、さようならと告げる言葉となって、霊前に捧げられました。







【香月弘美さんをしのびて】  歌劇団葬における追悼の言葉



  天津 乙女



 弘美さんの明朗で真面目なお稽古姿や、舞台姿が今でも私の眼に浮かんで

おります。



 私とは日本舞踊のお稽古でいつもご一緒でしたので、日一日と磨かれてゆく

芸の将来を楽しみに見ておりました。

 春の踊りで宝塚の舞台を踏まれてからわづかいくとせ、めぐり来た桜咲く春の

日に、希望多き若い生涯を失ってしまわれたことは悔やんでも限りない悲しみ

でございます。



 舞台人が舞台の上で命を失うのは舞台人の本望といいますが、それは昔の

ことで人の生命は何物にも代えられぬ尊いものだと思います。

 弘美さんのこの犠牲を私たち歌劇団員は決して無にすることなく、あなたの

魂を抱いてこれからの舞台を踏んでゆくことでございましょう。



 心から弘美さんの御冥福をお祈り申し上げます。





   沖 ゆき子



 ヒロエちゃん



 今こうしていても、どこからかヒロエちゃんがひょっこりと、いつもの明るい笑顔

で、あらわれてくるような気がしてなりません。



 “ ウソだったのですよ!あれはエイプリルフールだったのです ”



 そういってヒロエちゃんが出てきてくれるのを、毎日々々夢の中で待っており

ましたのに、・・・・・。



 ヒロエちゃんの元気なお稽古姿や、舞台の姿が私の瞼のなかにいきいきと

やきついているのに、ヒロエちゃんがもう再び会えない遠いところに行ってしま

ったなんて。それこそウソだとしか思えません。



 ヒロエちゃんは清く正しくの言葉どおりに、よき宝塚生徒として一日もお稽古

を休まなかった熱心な人でした。ですから二月の阪急友の会公演の芸者にな

った時には、こんなに立派になって、・・・・と私もうれしかったものです。



 これからぐんぐん伸びてゆく春の若芽のようなヒロエちゃんは幾多の希望や

夢を抱かれていたことでしょう。

 いつも”いちどセリに乗ってみたい”とヒロエちゃんは言っていましたね。大好

きな舞台で望みどおりセリに乗って、その春秋に富む若い生命を断つなんて、

あなたは考えても見なかったでしょうに、・・・・・それを思うといくら悔やんでも

悔やみきれない気持ちがいたします。



 残された私たちはヒロエちゃんが死を以て尽くされた舞台を、あなたの魂を

抱いてふんでゆきたいと思います。



 私たちでさえ一生忘れられないこの悲しみを御遺族の方々は如何ばかりか

と思えば、今はお慰みの言葉もございませんが、みんなの心からの冥福のお

祈りを、ヒロエちゃんも天国から聞いて下さるものと、これをせめてものおなぐ

さめとしたいと思います。



 ヒロエちゃん、どうか安らかに眠って下さい。



                                     さようなら





【宝塚グラフに寄せられたファンの投稿】



 無意識のうちに目は新聞の「宝塚の生徒圧死」との見出しの新聞記事に走っ

ていました。そしてそこに出ていたのは見覚えのある香月弘美さんの写真でし

た。ハっと我に返ってむさぼるように二度、三度と読み返しました。あまりにも

無惨な悲劇的な逝去。ただ漠然とした何とも言えない気分に襲われ、しばらく

はボーっとしていました。すぐには信じることは出来ませんでした。



 若く、これから宝塚を背負って立つ娘役でしたのに、・・・・。日本物の娘役を

と香月さん自身は望んでおられたのですが、さらに昨年はエレガント・ガールズ

という大役に抜擢されたほど、ダンスにも優れていました。モダンバレエ、トゥ、

タップ、マンボ、・・・とそのレパートリーも広くさらに歌唱力も、と三拍子そろった

有望な娘役であられたのに、惜しまれてなりません。



 体型が美しくラインも見事な舞台はそのしなやかな肢体には常に若さがあふ

れていました。昨年8月の「マンハッタン」物語で上京されての公演では、人

なつっこい笑みを浮かべて私たちを迎えてくれました。そして私が話している間

も、あの大きな目をクルクル動かしながら、いちいち、頷かれて聞いてくださいま

した。そして江の島の自宅に一度遊びにいらしてと言われた時には飛び上るほ

ど嬉しく、天にも昇るような気持ちで家に帰りました。時には愉快な冗談を飛ば

して笑わせてくださる、本当に感じのいい方でした。でも、その時の訪問が最後

の訪問になるとは思いもよりませんでした。その後お電話した時は、ご自宅

までの道順や乗り物なども詳しく教えて下さいました。でも、・・・ついにそれは

実現しなかったんですね。



 不運と言えばあまりの不運、残酷に亡くなられて諦めることも出来ません。

その場にいなかった私ですが、その時の光景がありありと浮かんできます。

二度とこのような事故が起きないよう、そして香月弘美さまの御冥福を心よ

りお祈り申し上げます。



                               (横浜市の女性ファン)







宝塚全生徒の見送りの中、告別式が終わり、御両親の胸に遺骨は抱かれ、

藤沢の実家に車で出発。ひたむきに生き、暖かい心で周囲を魅了された21年

の生涯でした。



 私たちは永遠にあなたのことを忘れません!



 



  



  





                     



  



  



 







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